マンスリースピーカーイベント 12月 笹原優子氏

マンスリースピーカーイベント 12月 笹原優子氏

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12月のマンスリースピーカーイベント(12月16日開催)は、NTTドコモ イノベーション統括部でグロース・デザイン担当部長を務める笹原優子さんにご登壇いただきました。
笹原さんは新卒でドコモに入社し、現在まで勤務。社会人になってからの海外留学にも挑戦されています。プライベートでは、「遠距離結婚」というパートナーとお互いのキャリアを尊重するスタイルを取られています。
「女性が活躍しているのは外資系」というイメージがあるかもしれませんが、日系企業の中で独自の立ち位置を築き、楽しみながら日々進化を求め前進し続ける笹原さんの、これまでの社会人経験からの学び、大切にしてきたことを伺いました。
 

トピックス

  • 目の前の仕事について「自分はどうしたいか?」考える習慣が自然と身についた

  • 踏み出せる一歩は踏み出してみる

  • 出る杭ならぬ 出るこんにゃく

  • 世の中に完璧は存在しない

  • 質疑応答

  • まとめ

 

目の前の仕事について「自分はどうしたいか?」考える習慣が自然と身についた

企業に入ると大体「これをやってください」とパーツで上司から仕事を与えられると思いますが、私は幸か不幸かそういう与えられ方をせずに育ったんですよね。別にすごく意識高く入社したという訳ではなく、仕事で「どうしたらいいんだろう?」と思い課長に聞きに行った時に、当然課長がどうしたらいいか教えてくれるものと思ったら、「ささ(笹原さん)はどうしたいの?」と聞かれる、というのを繰り返され、それからは課長に聞きに行く時に自分はどうしたいか、考えを持っていくようになりました。するとさらに深掘りされ、さらに考えて持っていくようになりました。そうして上司に育てられてきたので、企業の中にいながらも常に自分の意見を大切にさせてもらえる場所にいました。iモードの時にいた上司は「喋らないやつは会議室から出ていけ」と、自分の意見を言えと言われました。ずっと若いときにそういう環境にいました。その代わり自分の意見を言うと必ず同じ目線でそれが良いか悪いか、悪い時は悪い理由も全力で返してくれ、対等に扱ってくれたことでやりがいを感じました。iモードの組織がすごくフラットでダイバーシティのある組織だったので、そういうところでイノベーションは生まれるな、と感じました。そこからイノベーションを生み出すオープンでフラットでダイバーシティのある環境づくりに関わりたいと思い、今も仕事を続けています。
 

踏み出せる一歩は踏み出してみる

プライベートでは、1999年 iモードがローンチした年に遠距離結婚を決めました。彼はずっと大阪にいて遠距離恋愛で、結婚しようかなという気持ちになった時、まずは私が大阪に行くということを当たり前のように考えました。でもiモードが上り調子になってきて仕事も楽しかったので「どうしたらいいのかな?」と悩み、「このまま大阪に行ったところで、そのあと夫婦喧嘩をして『あなたのために私は異動したのに』と一生言うのも嫌だな」と思いました。そこで「結婚=同居」じゃないということに気づき、別々の住所のまま結婚することにしました。
今回は結婚でそれを悩みましたが、子供が生まれる時も、介護が始まる時もたぶん同じ悩みを持つな、と。「仕事をずっと同じ状態で続けられるわけではない」ということに気づき、女性の異業種コンサルティンググループに参画することを決めました。会社の中で普通に育っていくと普通にしかならないなと思ったので、「どこかとんがりを残したい」と外で活動することを考え、またマーケティングの能力をつけて外で仕事ができる状況になりたかったので、参画しました。
そこで現ワーク・ライフバランス社の小室さんに出会いました。彼女は4歳下で同じ大学の出身で、ある時大学に呼ばれてリクルーティングをする同じ場面にいた時に、「何だろうこの面白い人」と思いました。控え室で、当時まだ携帯にカメラがついておらず、ライバル会社のにはついていたので、「携帯電話にカメラをつけるべきか」のディスカッションを繰り広げて仲良くなったことがきっかけで、小室さんと一緒に異業種コンサルティンググループをやることになりました。
32歳の時に関西支社に行って旦那と一緒に住み始め、子供を持つことを考えた時に、携帯電話の業界はすごく流れが早かったので、「一回休んだら戻ってこれない気がする」と思いました。当時はまだパソコンで家から会社のメールにアクセスしたりができなかったので、そういうことを可能にしたり、育児休暇中に学べる機会を作りたいと思っていました。その時ちょうどドコモ関西の支社長がホームページを持っていて、そこにあった「御用がある方はこちらへ」というメールアドレスに「子供のことを考えているが、このまま育児休暇に入ると戻ってこれない気がして、不安で、こういうのを立ち上げたい」と書いてメールを送ったら、通常業務をしながら横で育児休業者支援プログラムをやらせてもらえることになりました。
 
ここからの学びは、「踏み出せる一歩はまず踏み出してみる」ということです。小室さんも「面白そうだな」「話さないと後で後悔しそうだな」と思ったので思い切って話しかけ、激論し、一緒に仕事する機会に恵まれたし、支社長にはメアドがそこにあったからメールを出しました。
踏み出して色々やってみて気づいたことは、ワークとライフは一体になっているので、外で何かやっていることでシナジーがうまく生まれるなあということです。マーケティングの仕事をしていた時は、携帯電話業界は結構トレンドを追っていく業界だったので、他の業界のトレンドを理解することでより幅広い比較ができるようになり、すごくいいシナジーが生まれました。仕事一本だけ見ていると疲れちゃうので、横に他に何かあるとバランスがとれて、仕事のプレッシャーも低減します。あと会社は毎月普通に給料が出るので、「給料に対して自分がどう働いているか」など見ることがなかったのですが、コンサルティングを外でやることで、「自分に今こういうお金が支払われるんだ」と改めて気づき、その分プロとしての意識がついて、会社の仕事に対しても「貰っている金額以上にちゃんと返さなくては」と意識するようになったことはすごく良かったなと思っています。
 

出る杭ならぬ 出るこんにゃく

企業の中での生き方は色々あると思うのですが、「(打てないほどの)出る杭になれ」というのはケガしそうで嫌だなと思っていて。個性は欲しいので出るは出るのだけど、こんにゃくみたいな、そういう意識だと面白いし、やわらかいなと。企業での勤め方って、そういう存在でいる方がいい、無理して杭にならなくてもいいんじゃないかな、というのが20年ちょっと勤めてきて思うことです。私も最初の頃は杭だったと思いますが、そのうち関係性をどう構築していくか学び、今はこんにゃくっぽく力を抜いて、みんな楽しく一緒に頑張ろうよ、という存在になりたいと思ってやっています。肩に力が入っている人はふっと力を抜くか、思い切り誰かに突進して喧嘩しきって気づいて戻ってくるくらいでちょうどいいと思います。

 

世の中に完璧は存在しない

入社時のTOEICの点数は345点でした。留学する時にはTOEICの点数は倍くらいになりましたが、入社時は345点だったので、すべての人が海外留学に行けるチャンスがあるというのをこの数字が示してます。しかも留学行ったのは39-40の年です。会社から「留学に挑戦しませんか?」と話をもらい、それまでは留学を考えたこともなかったし海外に住みたいと思ったこともなかったので、最初はうなされました。ちょうど話をもらった時、会社を辞めようかなと思っていて、なんでかというと、当時端末の商品企画をしていて、iPhoneやGalaxyなど外国のものが来ていたので、自分のグローバル経験がない今の状態の能力に限界を感じていたんです。立ち向かってグローバルの勉強をしていくのか、ドメスティックな国内企業に行くのかを考え、後者にしようと思っていたら、前からグローバルのお誘い(留学)がきたので、じゃあ挑戦してみようと思いました。
 
クラスメイトは120名、男性98名 女性22名、年齢層は31-53歳、34カ国の人が集まる中で1年間学んでいました。
入学前、週末に女性の皆とブランチをしたら周りが何を話しているか全くわからず早々に挫折し、家に帰って猛省しました。わからないことをごまかしている自分がすごく嫌で、女性メンバー全員に「私はまだ英語がわからないところがあって、でも一生懸命あなたたちの話も聞きたいし、自分も言いたいから協力してほしい」というメールを送ったら、「すごい勇気だ!」という返信がたくさん返ってきました。プログラムが始まると、アルゼンチン人のクラスメイトに教室で最前列に座らされ、「あなた英語わからないからここに座りなさい」「わからないことがあったらここに書いて」と引っ張ってくれて、ずっと前で一緒に授業を聞いてくれました。私は別に恥ずかしいことを言っただけなのに、こんなに「あなたは勇気がある」と言ってもらえることにびっくりして、本当に送ってよかったな、と思いました。
 
留学で一番学べたのは、「完璧は存在しない」ということです。「完璧な自分でありたい」とか「完璧を目指したい」と思って一歩踏み出せないことって多いなあと思っていて、英語も完璧じゃないと喋りたくない、喋れなかったということもありました。でも結局完璧って世の中存在しないし、どれだけやっていってもより良いものって出てくるので、 「なんで私は無い完璧っていうものを目指してたんだろう?」というのでふっと力が抜けました。それと同時に「自分はこれぐらいの存在なんだな」、「よく見せたい」「英語をかっこよく喋っていたい」というのはあっても、結局見せれるものはこれしかない、ということがやっとわかりました。やはり会社で20年働いて課長とか担当部長になってくると、「課長っぽくないといけない」「ちゃんとしてないといけない」という盾がいろいろあったので、言葉でごまかしてきたりとか、よく見せたりというのがあったんですけど、留学の経験で荒波に揉まれ、そうやって無理して鎧を着ている必要はないんだなと思いました。それは全然完璧な姿でもないし、目指している完璧なんてたぶんこの世には存在しないので、だったらちょっと一歩ずつ踏み出していくのがいいなと改めて思いました。留学して叩きのめされたおかげで、結構楽になりましたね。
この学校のプログラムでは「Get out of your comfort zone(快適なところから抜け出せ)と常に言われていました出来ないなりにもちょっと心地いいかも、と思うと、コンフォートゾーンを抜け出し次の挑戦をやっていく、ということを常にやってきていました。どんどん自分をストレッチしていくと、自分の出来ることの幅が広がっていくので、そうやって切れない程度にちょっとずつ広げていって、挑戦してみてもらえるといいのかなと思います。

 

質疑応答

イベント参加者からの質問と、それに対する回答を一部ご紹介します。
Q:前向きな気持ちになれる原動力・モチベーションはどこから出てきたのですか?
A:「明日仕事が出来なくなってたらどうしよう」という感じで、日々楽しくやっていこうというくらいかなと思います。部下に対してもめんどくさいという日もしょうがないと思って、そういう時は朝から無償の愛を唱えながら行ったりしています(笑)。普通でいるのが一番楽なので、それでモチベーションを保てているのかもしれません。新入社員並みのピュアさを持ったまま、あまり肩に力入れずにきているので、なんとなく元気にやれているのだと思います。
 
Q:昇進していくときに社内で男女格差はなかったですか?あったとしたら、どう立ち向かったのですか?
A:部署によっては「女子だから・・」という扱いを受けている部署もあったかもというのはあるんですが、私はあまり感じたことはなくて、ラッキーな部署にいたというのは事実かなと思います。男女というよりは「ゆるキャラ」みたいな扱いでした。新入社員の頃から変な服装が好きで、全身コムデギャルソンで会社に行ったりしていたので。端末の対応をしていた時、不具合を対応する部署に不具合の情報を持って行くと、その部署のおじちゃんたちに「最近笹原さんの服を見るのだけが楽しみだよね」と言ってもらって、そういう面白い存在になれるんだなと思って。男女というより男・女・笹原さんみたいな、ユニークな立ち位置を築いて生きてきたので、女性で・・という風なのは感じずに来ちゃった感じがします。
 
Q:Lean In Tokyoの団体紹介のところで「女性はキャリアを積んでいきたい気持ちはあるが、管理職に任命されると断る」という統計が出ているというのがありましたが、そういうのは実際にありましたか?部下にはどう評価されていますか?
A:課長になりたいかと言われると別になりたくはないというのは言っていました。一回課長試験みたいなものを受けた時に、人事からの質問で「あんたは社長になりたいか」と言われた時は、「私はいま自分の役職でやりたいと思うことはやれているので、今は社長にはなりたくない。けれども、私のやりたいことが社長じゃないとできないんだったら私は社長になりたい」と答えました。
あと、課長になることにちょっと臆病になっている後輩たちに聞かれた時は、「課長とか、なってみると意外にドラクエみたいな感じで、武器を持たせてくれる感じだから、なったらなったでいいですよ」と言っています。いま担当部長なんですが、次は組織長が上なので、今までは自分のやりたいことがあっても間にいる人が仲介して喋っていたから、私のオリジナルのアイディアと違ってしまうことがあったんですが、それがなくなり、思っていたことが直接言える晴れやかさ、というのはあります。あまり役職で語らない方がいいのかなと思います。
 
Q:ご自身が評価されたポイントはどこだと思いますか?管理職に声がかかったということは、周りより抜き出た部分があり、それが評価されたからだと思うのですが・・
A:人と違うことをちょっとしていますね。与えられたことも一応やるんですけど、毎年自分が何か味付けしたものをやりたいという欲求がすごく強く、頼まれていないことを勝手にやるんですよね。今も39worksというプロジェクトとかで、頼まれてもいないけど渋谷にオフィス作ってみたり。一応社内は通すのが私のすごいところで(笑)社内調整はたぶん社内で五本の指に入るという自負をしているのですが。一応頼まれたことはやる、給料の対価分は働いた上で、毎年私じゃないとできなそうなことを一個やってみると、「この人変だな」と自分らしさが出るので、なんとなく毎年一個変なことをするようにしています。
 
Q:評価された当時、自分に自信はありましたか?
A:ずっと、今も全くないです。他社の人で面白いことした人がいると、「私はまだまだちっちゃいな」と思って、どうやったら面白いことができるんだろう、と考えているので。完璧はないじゃないけど、上には上って結構あるので、自信を持っちゃうとダメなんじゃないかなと逆に思っています。自信がないからこそもうちょっと上に行くにはどうしたらいいのかな、もうちょっと面白いこと考えるにはどうしたらいいのかなと思えるので、自信はないままでいいのかなという気がします。
 
Q:ムーブメントをどう起こしていったのですか?育児休業者支援プログラムなど、一人で一歩踏み出したとしても、その後おそらく色々人の力を借りたり、色々なことをしてようやくそれが達成されてきたと思うのですが・・
A:「欲しい」と思ったらそのまま動くだけなので、あまりムーブメントと意識しなかったところがポイントかなと思います。最初から「大きなものを動かさなきゃ」と思うと疲れちゃうけど、育児休業中の支援のプログラム欲しい→今ない→欲しい→つくる、終わりみたいな。 なんとなく頭で毎日考えて、問いを自分の中でかけているので、どんどんシャープな企画になっていきます。あとは小室さんと仲が良くて、彼女もそういうのをやっていたので、彼女と話す中でブラッシュアップはされていきました。でも特に何かに書くわけでもなく、何個かのやりたいことを日々悶々と歩きながらブレストして、それがどんどんあったまってきたときに、「今だ!」というタイミングがくるので、その時にふっと出せるよう用意しておいていました。 あとは質疑応答に耐えられるようにしてます。その時に、自分だけじゃなくて、自分が部長の立場だったら、とかいろんな人の立場を想定して質疑応答をぐるぐるまわすと、よりこなれてきます。こういう感じだったら上司に受け入れられるだろうな、とか質疑応答を相当やります。で、良いタイミングで出します。
 
Q:社内調整は特に大企業だと難しいと思うのですが、どういう風に調整していらっしゃるのですか?明日から使えるTIPS(小技)があれば教えてください。
A:上司の立場でQ&Aを考えるのがまず良いのと、「絶対にこの案です」と決まりきって引けない状態では持っていくのではなくて、何案か用意しておいて、「あなたの意見を聞きたいです」みたいな感じで、その気持ちをちゃんと見せるのは大事かなと思います。亀の甲より年の功で、その経験値から知らないことも教えてくれたりするから、「案はこういう風に考えてるんですけど、どう思いますか」という感じで聞くと、自分が選んだことというので責任も持ってくれるし、聞いてくれるんだと思うとちゃんと意見も言ってくれます。あとリスクを先に言っておくのが絶対良いと思います。良いことだけ言ってリスクを言わないとすごく警戒されるけど、リスクを見せると意外に「俺がなんとかしてやるよ」と男気をみせてくますし、花も持たせられます。
 

まとめ

笹原さんがこれまでの社会人経験を経て確立された、「自分の頭で考え行動しながらも、そのままの自分を受け入れ、肩の力を抜いてゆるくしなやかに生きる」というスタイルは、頑張りすぎている方には「肩肘張らずにもっとリラックスしていい」と安心感を与えるような、また、心地よい環境に身を置いていたり、何かに挑戦するのを躊躇している方には「そこから一歩抜け出そう」と背中を押してもらえるようなメッセージであったように思います。
大変貴重なお話、ありがとうございました。

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